からあげ博士の日常と研究と

博士課程を満期退学した人が好きなことを好きなままに書くところ。

Aマウントの終焉

今週のお題「復活してほしいもの」

 こんにちは。からあげ博士(@phd_karaage)です。Aマウントレンズがついにソニーストアで終売となりましたね。市場在庫を血眼になって探せばまだ新品が買えるかもしれませんが、その数も決して多くはないでしょう。

 Aマウント、そしてそのレンズとは相応の歴史を持ったシステムであり、このレンズ群が終売となるというのは一眼レフカメラの一つの時代が終えたことになります。Aマウントシステムが作り上げられた当初の時代こそ知らないものの、Aマウントシステムとは中学生の頃からの付き合いになります。

 さらに言えば父もAマウントのカメラを持っていたことから、私の幼い頃の写真はどれもAマウントのカメラと、そしてAマウントのレンズによって撮影されたものばかりです。

 そんなAマウントの終焉と聞いて、分かり切っていたことだけれど少し寂しい気持ちになったり。どんなカメラでどんな写真を撮っていたのか。HDDにある写真たちと共にを振り返ってみようかなと思います。

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 机の上が汚いことがバレバレですね。

目次

Aマウントとの出会い ―― α200

 自分が本格的に写真を撮り始めたのは小学生くらいの時。親から買い与えられたコンデジを片手に鉄道写真を撮っていました。転機になったのは中学生になってから、コンデジの買い替えを検討していた時。

 家電量販店に行くと展示品のα200レンズキットが税込み39800円で売っていたんですよね。当初考えていたコンデジの予算に近い額。それでもちょっとオーバー。

 親に買ってくれとねだってみると、案外すんなり買ってもらえたというのがAマウントと自分の出会いですね。もちろん親がAマウントで自分のことを撮っていたということを考えると再会とも言うべきでしょうか。

 なんであの時買ってくれたん?と10年以上経ってから聞くと「自分の息子が同じシステムで撮りたいって言うなら買ってやりたくなるだろ?」という趣旨のことを言っていました。ありがたい話だ。

 この時はキットレンズのDT18-70/3.5-5.6と共にあれこれ撮影していました。この時の写真が出てこないのが惜しい限り。たぶん実家で眠っているPCのHDDに写真があるはず。

高校生活、青春、写真部 ―― α550

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 α200を使っていた時代はあっさり終わってしまいました。なぜなら液晶を割ってしまったから。ということで高校1年生の冬にα550を購入しました。さすがに自分で液晶割ったのに買ってくれとは言えず、貯金をはたいて購入した記憶があります。

 この時もレンズキットで購入したのですが、このキットレンズはまだAマウント機を使っていた親戚のもとへ。その代わりにAF 28mm/2.8とAF 50mm/1.4というレンズを貰ったのでした。今思えばとんでもない交換条件ですね。

 このカメラは去年α7R(初代)を買うまで9年ほど使っていたことになります。まさに青春を共に過ごしたカメラ。

 高校では写真部に入り県の大会に写真を出展したり(3年で2回佳作を取った程度だけど)、日々の高校生活を「写真部」という大義名分を振りかざしながら撮影したのでした。

 この時のレンズ構成はAF 28/2.8, AF 50/1.4, AF 100-300/4.5-5.6とミノルタ時代のレンズしか持っていないという訳が分からない状態でした。

 この当時に撮影した写真をいくつか。

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α550 + AF 28/2.8 ISO:200, SS: 1/2000, F:2.8

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α550 + AF 28/2.8 ISO:200, SS: 1/160, F:5.6

 今見ると自分、写真撮るのへたくそだなあと思わざる得ないですね。当時はただ撮っているだけに近かったのかもしれないなあと思います。この時は結構高校の中で人を撮っていて、ああ、もっとまじめに、そしてもっとお金を貯めてこの時にポートレートレンズを買っておけば良かったのにと思ってしまいます。

 その時からVario-Sonnar T* 24-70/2.8 ZAやSonnar T* 135/1.8 ZAは憧れでした。とても買えたもんじゃないけど。

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(左)α550 + AF 28/2.8 ISO:200, SS: 1/20, F:2.8

(右)α550 + AF 100-300/4.5-5.6, 100mm,  ISO:200, SS: 1/320, F:4.5

 結構この時から28mmを多用していたようですね。その一方で50mmをさほど使っていないという。APS-Cセンサであることを考えたら50mmってポートレートに好適だったはずだと思うんですけどね。

 そして友人の後ろ姿は100-300/4.5-5.6の初期型。APOなし。こうしてみると収差出まくりの非現代的なレンズだなあと言わざるを得ないですね。APOありとは明らかに異なる描写です。

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α550 + AF 100-300/4.5-5.6, 100mm, ISO:400, SS: 1/400, F:8

 なんだかこういう懐かしい写真も出てきます。たぶん修学旅行で大阪に行ったときに帰りの飛行機に搭乗する前に撮ったやつだと思う。センサーのゴミが写ってますね。

 そして本当に100mmなのだろうか。ちょっと疑問が残ります。

大学生活もα550と共に

 1年の浪人生活を終えて、無事に大学生に。大学でも写真部に入ると、高校で写真部の後輩だった奴が大学の写真部の同期になるという時空の歪みが発生。

 大学生活は割と極貧生活だったので幸いというべきかレンズは増えませんでした。この頃はまだAマウント現役だったのにね。

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α550 + AF 28/2.8, ISO:400, SS: 1/2500, F:5.6

 大学の用事でアメリカに出張した時は写真係を命じられたりとか。なんだかんだ写真に関わる一方で、カメラを持ち出す頻度というのは落ちていった気がします。この頃からスマホのカメラ画質が格段に向上して、そもそもデジイチが必要なのか?と思いだした頃でもあったりします。

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α550 + AF 28/2.8, ISO:800, SS: 2.5sec, F:5.6

 とはいえ写真部に入らなければたぶん写真は撮り続けなかっただろうなと思うこともある上に、思いつきで桜の名所にカメラを持って写真を撮りに行くなんてことは、写真部に入らなければなかったことでしょう。

 もともとフットワークが軽い人間であることは自覚していますが、写真部の中に多くのフッ軽人間が在籍していたのはよい思い出だったりします。

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α550 + AF 50/1.4 ISO:1600, SS: 1/30, F:1.4

 大学の写真展に出展した作品の一つ。ピントも甘いし、ちょっとブレてるけどモノクロにすればすべてが解決する。そんな安易な発想が作品から現れていますね。この頃はカメラを持ち歩くなんてことは少なくなっていて、写真展?やばい。撮影しなきゃなんて撮影に出かけていたのを思い出します。

 写真展に出展して、講評に来ていただいた写真家の方からこういったコメントを頂いたのを覚えています。「君の写真は一瞬を切り取るというより、あらゆるものを作り上げて撮影する、1つの画のイメージを写真の中で描いているみたいだ」というコメントです。決して悪い意味ではなく、そういう表現手法の1つだと言っていました。自分が撮影する写真を見る中で、なるほどと腑に落ちた瞬間でもありました。

大学院、そしてα7Rを買う

 大学院に入ってから修士課程を出るまで、ほとんどカメラを持ち歩くことはなくなっていました。ほとんどスマートフォンで撮影と言った感じに。大学院では学部の頃とは違う大学の大学院に入学したこともあり写真部には入りませんでした。

 博士課程の2年目、ふと家電量販店を見るとα7Rの初代、しかもVario-Tessar 24-70/4とのセットがとんでもないお買い得な値段で売られていました。端的に言ってセットになっているレンズ単品すらも買えないお値段で売っていたのです。

 気が付けば買っていました。また写真を撮るかあ。そう思ったのです。

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 α7Rはソニーの現行マウント、Eマウントのカメラ。ということは今までのレンズ資産をそのままでは生かすことはできません。しかしソニーは見捨て切った訳ではありませんでした。マウントアダプター、AマウントレンズをEマウントカメラでも使えるアダプターを販売しているのです。

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 このマウントアダプターをセットでお買い上げ。とはいえメインはセットでついてきたVario-Tessar 24-70/4を使って撮影していました。

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α7R + Vario-Tessar T* 24-70/4, 57mm, ISO:200, SS: 1/20, F:5.6

 今まで単焦点をメインで使っていた身としては、暗いし、解像もいまいち。何かが物足りないと思いだしたのです。そしてオークションやら中古カメラ屋さんを見るとAマウントレンズが格安で売られているではないですか。

 50mmのマクロなど格安で手に入れて使いだし、これに味を占めてどんどんAマウントレンズが増えていきます。

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 Vario-Tessar君は本当にこんなに解像が悪いのか?と疑問に思い修理に出したところ、解像不良が認められ3群レンズ交換。一応解像が良好になって帰ってきました。

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α7R + Vario-Tessar T* 24-70/4, 30mm, ISO:200, SS: 1/125, F:4

 ただ自分の手元にVario-Tessar君が居たのはそう長くはありませんでした。ずっと憧れだった、Vario-Sonnar T* 24-70/2.8を買ってしまったからです。

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 もっと早く買っておけばよかった。けどもっと早くには買えなかった。そういうレンズです。新品なんてもってのほか、中古でも高いお値段をつけていたこのレンズが、Eマウントシステムの興隆とAマウントへの諦めモードによりかなりお安くなっていました。

 レンズは資産だ。よく言われる言葉であることは間違いないのですが、システム自体が衰退することにより、その資産価値が大幅に目減りしてしまうという悲しい現実だったりします。

 そして自分の手元にはAマウントレンズしか残らず、Eマウントレンズは1本もありません。

DSLRの真打になれなかったSONY、ミラーレスの真打になったSONY

 コニカミノルタからAマウントシステムを継承し、Aマウントでデジタル一眼レフカメラを出し続けたソニー。継承後初の発表会で「DSLRの真打になる」と掲げていたそうですね。

www.itmedia.co.jp

 圧倒的強者のNikon, Canon相手に相当奮闘したのではないかと思います。しかしながら光学ファインダーシステムを捨て、トランスルーセントミラーシステムに移行して、結構なユーザが流出してしまったのかもしれません。

 自分の親戚も光学ファインダーのないカメラを見て「ああ、もうαは終わったんだ。もうα100が最後のカメラかなあ」なんて言っていました。

 そして数年間新しい機種が発売されることなく、そして昨日Aマウントのレンズすらも発売終了となってしまいました。

 そういう意味で、AマウントのαはDSLR ――デジタル一眼レフカメラの真打になれなかったのは事実でしょう。一方でEマウントシステムを持つαはミラーレスカメラの真打と言えるのではないでしょうか。

 それは単純にシェアという点でも、そしてミラーレスカメラのシステムとして成熟してきたという点でも。

 αは終わったと言っていた親戚が「α7RⅣを買っちゃったよ」と言っていて、LA-EA5に代表されるマウントアダプターのおかげでAマウントシステムの移行先としてEマウントを選んでいます。

 確かにAマウントは終わったかもしれないですが、ミノルタから続くαブランドは、カメラの真打になったという点で今わが春を謳歌しているときとも言えるのかなあと思っています。

Aマウントは終わった。公式にはね。

 これまでミノルタ、コニカミノルタ、ソニーと続いてきたAマウントシステムは新規開発もなければ販売も終了する、「終わり」の時を迎えてしまいました。新しいものを手に入れる術はもうほとんどありません。

 しかしカメラやレンズが終わった訳ではないのです。我々の手元にあるカメラやレンズは資産として使い続けることができます。Eマウントのサポートが終わるまで、少なくともLA-EA5が終売となり、Aマウントに対する一切のサポートを終えるときまで。あるいは今使っているAマウントカメラが死ぬまでは。

 Aマウントはソニーに見捨てられ晩年の資産価値は大きく下がった、これは間違いないのですが、おかげ様でこういったレンズを自分みたいな貧乏学生でも買えたという事実もあります。

 Aマウントシステムが復活するとき、そんなときはもう訪れないでしょう。しかし今まだ生きているAマウントボディ、そしてAマウントレンズで写真を撮っているとき、確実にまだAマウントシステムは生き続けていることは確かでしょう。

 復活の狼煙を上げるときがあるならば、それはAマウントシステムで撮影した素晴らしい写真たちを世界に広げていくことなのかもしれません。