からあげ博士の日常と研究と

大学院生の日常雑記とたまに研究の話を?

【読書記録】恋に至る病 ――斜線堂有紀

―― 本当に正義の神様ですか?

 こんにちは。からあげ博士(@phd_karaage)です。最近本当に本を読んでいません。読んでいるものといえば技術書か論文だけ。ある意味で健全な大学院生といえばそうなのですが、昔々は大量に小説の類を読んでいた身としては少々さみしい限り。

 とはいえ全く読んでいないかというとそうでもなく、時折何かの拍子にKindleで爆買いしておいて積んであり、なんか行き詰ったなあという時にはそういった本を読んでいたりします。書店に行くという習慣を失ったのも本を読まなくなった要因の1つなのかなという気がしています。

 今回読んで記録しておこうと思った本はこちら。

 ミステリというか、ライトノベルというか、青春小説というか、要素があれこれ詰まっていますが一応ミステリに区分しておいていいのかな。そんな感じの本です。

 続きには大いにネタバレを含んでいますのでご注意くださいませ。

目次

この本との出会いは「放課後探偵団2」から

 書店に行かなくなった結果、新しい本、新しい作家と出会うことがまず無くなりました。本当にふらっと書店に寄った時に目を引く本があれば……という感じ。そんな中でこの著者、斜線堂有紀の文章を読むきっかけになったのがこの本。

 放課後探偵団2というアンソロジー。学園を舞台にしたミステリ、アンソロジーということで、5人の著者による読み切り学園ミステリが掲載されている文庫本。2ということは当然1もあり、1では、相沢沙呼、似鳥鶏といった作家に出会うことができました。

 この本で斜線堂有紀は「東雲高校文芸部の崩壊と殺人」という読み切りミステリを掲載していて、なんだか惹かれるものがあったんですよね。正直言うと自分があまり好きな作風ではないのに。

 ミステリは読むけど、人が死ぬ作品はあまり好きではないんですよね。例えば最近直木賞を受賞された米澤穂信の「小市民シリーズ」とか、似鳥鶏の「にわか高校生探偵シリーズ」とか、そういう日常の謎(と言い切っていいのかは疑問だが)系が結構好きだったりします。

ヒーローは誰か?

 宮嶺と寄河景の物語は小学5年生、宮嶺が寄河景のいるクラスに転校してくるところから話は始まります。転校ってめちゃくちゃパワーがいるんですよね。すでに構築されている人間関係のところにポッとぶち込まれる訳で。転校を経験したことのある人間にはわかる。

 そんな宮嶺の初日を救ってくれたのが寄河景という女の子。おそらく表紙に書かれた女の子でしょう。クラスの中心人物で、クラスの支配者とも言える女の子。ただ支配の素振りは全く見せない。カーストを超えた存在である寄河景は宮嶺のヒーローです。

 一方で校外学習でケガをした寄河景に宮嶺が寄り添い、そして寄河を悪く言うやつには戦うと宮嶺が宣言します。

「それじゃあ、宮嶺は私のヒーローになってくれる?」

 互いに互いをヒーローとする、そんな関係が始まります。しかし本当のヒーローは誰か。それは読み進めていくうちに何となく察するところでしょう。

青い蝶(ブルーモーフォ)

 都市伝説的に広がるゲーム。遊ぶと自殺に至る、そういうゲーム。

 そんなもの存在するはずがないよね、という宮嶺と、青い蝶は幸せの象徴だと言う寄河景。

 付き合い始めての初めてのデートで見せたいものがある、と連れられて行ったところで男子高校生が自殺。周りが阿鼻叫喚の中で一人だけ落ち着いている寄河景。

 自らはブルーモーフォのゲームマスターだと、そう告げる寄河景。きっかけは小学生の頃にいじめられていた宮嶺を見たこと。

 そう告げられたらどうすればいいでしょう?今の自分の年齢なら「やべえ奴だ」と逃げ切れるかもしれない。でも高校生だったら?それが自分のヒーローであり、「あなたは私のヒーローだ」と言われていたら?

 そんな共依存的な関係の中にいて「お前は気が狂っている。どうかしている」なんて言える人がどれくらいいるでしょう?仮に高校生の自分を考えたとき、そんなことはできない。容易に想像できますね。

この話に救いはあるのか?救いとはなにか?

 このブルーモーフォは世間にも露呈し、止められないところにやってきます。宮嶺は一計を案じる訳ですが、まあうまくはいかないよね。カリスマ性を備えて、ブルーモーフォを主催するだけの能力がある。そんな女性に平凡な男子高校生が一計を案じたところでうまくいくはずがない。

「……ブルーモーフォは……完璧だった。私は間違えなかった。私は、」

 結局のところすべては破滅する訳です。宮嶺は逮捕される。

 宮嶺がブルーモーフォの主催者であると供述し、多くの刑事たちを騙すことに成功する中で一人だけ勘のいい刑事がいた。

「私はね、君こそが寄河景に洗脳されていて、今もなお彼女を庇っているんだと思っている」

 寄河景のすべてを見透かし、そして宮嶺が洗脳されていると説く。ミステリ的探偵がここで出てくるのは反則だろうという気もしつつ、種明かしがされていく訳ですね。その種に救いがあるのか、宮嶺が救われるルートはあるのか、正直なんとも言えないところです。

 著者のあとがきにあることを思い返しつつ、もう一度読み返してみる訳ですが、「宮嶺の信じる『特別』」があったのかどうしても判断に悩むところです。その特別が本当に救いなのかも悩ましいところです。

読後感が苦々しいのがこの人の作風なのかな?

 この苦々しい読後感は、自分が初めて出会った「東雲高校文芸部の崩壊と殺人」でもあったんですよね。救いがないというか、登場人物のそのあとが苦々しいものになるという。

 もちろん自分はこの本を含めてこの2作しか読んでいない訳で、この人の作風はこうだと論じるのは難しいところですが、実際はどうなんだろう。もう一作読んでみようかなと思うところです。ただ僕は人が死なないミステリのほうが好きなんだ……!

 この苦々しさ、ずっと昔に読んだ米澤穂信のボトルネックに近い気がしてならないのは僕だけでしょうか。